US 版 Think with Google が 2025 年 10 月に公開した記事を基に日本語に翻訳し、編集しました。
ラグジュアリーブランドの Moncler は、70 年以上前にフランスの山村で創業して以来、常に挑戦を続けてきました。
同社の代名詞とも言えるダウンジャケットは、登山や雪山向けのアルパインファッションに革命をもたらしました(英語)。1960 年代後半には、オリンピックのフランス代表スキーチームや、世界的な登山家らが同ブランドのウェアを採用。1980 年代に入ると、ミラノの若者たちがそのシルエットをストリートファッションに取り入れました。そして 2010 年代にはラグジュアリーブランド市場へ本格参入を果たし、代表的な「Maya」ジャケットはヒップホップファッションの象徴となったのです。
従来の技術や時間的制約では不可能な広告(impossible ad)を、AI で作れないか――。Google が広告代理店である R/GA に打診した際、R/GA のチームは迷わず、この伝説的なブランドに実験的な企画を持ちかけました。
R/GA EMEA のニック・プリングル CCO(最高クリエイティブ責任者)は次のように話します。
「Moncler は素晴らしいストーリーと非常に明確なブランドイメージを持っているため、当初からこのプロジェクトに最適なクライアントだと考えていました。しかし同時に、これが実験的な試みであるとわかっていたため、Moncler への提案には不安もありました。最終的にどのような形に行き着くのか私たち自身にもはっきり見えていなかったため、私たちと共に歩んでくれる、オープンな姿勢のパートナーが必要だったのです」
Moncler はこれを快諾しました。それから 4 週間後、R/GA は完全に AI だけで生成した詩的なブランドムービーを業界向けに発表したのです。
『From the Mountains to the City』(山から街へ)と題されたこの作品の生成過程で、どのような工夫を凝らしたのかを紹介します。
動画を見る
広告代理店の R/GA は、Moncler の物語を伝える『From the Mountains to the City』を全編 AI で制作した。実際の映像は 4 分 55 秒ごろから(英語/日本語字幕)
象徴的なブランドを描く
Moncler というブランドが持つ魅力は、映像制作において豊かなインスピレーションの源となる一方で、映像化するには非常に手強い題材でもありました。
R/GA のイーライ・マブロス氏(executive creative director)は「なにしろハイファッションですから、プロダクトの表現を完璧に仕上げる必要がありました。私たちは、これ以上ないほど困難な状況を自ら作り出したようなものでした。しかしそれによって、この挑戦は私たちにとってより価値あるものになりました」と振り返りました。
「Maya」のダウンジャケットの光沢、ステッチ、質感を再現することが、非常に重要なポイントでした。AI で生成したファッションモデルたちも、本物のモデルかのように見えなければいけません。当時はまだ Veo 3 の「Flow」(英語)のような Google の AI ツールが市場に出ていなかったため、シーン間の連続性をいかに保つか、R/GA は自ら見つけ出さなければなりませんでした。
「技術の進歩は急激で、1 カ月前には大きな壁だったものが、今ではもはや壁ではなくなっています。それが AI ツールの素晴らしいところです」とマブロス氏は言います。
R/GA のクリエイティブチームは Veo 2 での実験結果を Moncler と共有することで「何が可能になるか」「その品質の高さ」について期待感を高めたとプリングル氏は述べています。
「人物の描写、シーンやロケーション、照明のクオリティの高さには、制作している私たち自身も純粋に驚かされました。個別のクリップを生成しては、その出来映えに圧倒されるばかりでした。しかし、その時点では大きなハードルが待ち構えていることに気づいていませんでした。クリップ間の整合性をいかに保つかという課題です」(プリングル氏)
そこで、Google Cloud の「Gemini Code Assist(英語)」を使って、まったく新しいカスタムツールを開発することにしました。
オーダーメイドのソリューションを構築する
通常であれば 2 ~ 3 カ月を要するプロジェクトを、公開まで 4 週間弱で進めるため、チームは Gemini、Imagen、Veo など Google の AI を駆使し、複数の AI ツールや作業工程を視覚的につなぎ合わせて連係させる R/GA 独自の AI システム「ShotFlow」を構築しました。
「ShotFlow の導入によって、チーム全員が共通の場で作業できるようになりました。また、作業に必要な複数のプロンプトを固定し、一貫性などを管理できるようにしたシステムを構築したことで、当時はいかなる方法でも到底不可能だったレベルの一貫性を映像全体に持たせることが可能になったのです」(プリングル氏)
ShotFlow が完成すると、地域や専門分野の垣根を超えた混成チームが、以下のようなステップに沿って映像制作を進めました。
- Gemini によるブレインストーミング:Gemini を使って各シーンの構想を出し合いました。衣装、登場人物、ロケーション、カメラアングル、照明といったシーンの構成要素の説明文を生成しました。
- ShotFlow でのプロンプトの固定:Gemini で出した各要素のアイデアを最適化した上で、それらを組み合わせ、画像生成 AI に入力するための非常に詳細なプロンプトとして新たに作成、固定しました。
- Imagen によるビジュアルの仕上げ:映像の各シーンについて、Imagen でキービジュアルを生成。求める一貫性と品質に達した段階で、レタッチやロゴの配置などのプリプロダクション段階の修正を加え、ビジュアルを完成させました(当時はまだ Nano Banana のリリース前でした)。
- Veo によるストーリーテリング:完成した画像を ShotFlow にインポートし、ストーリーのプロットに使いました。画像を基に Veo で動画シーンを生成する方法で、一度に膨大な情報を AI モデルに提供できるようになり、チームは動きの演出にのみ集中できるようになりました。
ShotFlow は、部門横断的なチームがアイデアを共有するのを助けただけでなく、7 つの異なる国にまたがるチーム間のシームレスなコラボレーションを可能にしました。役割や職種に関係なく、誰もがシーンを生成できたのです。唯一求められたのは、テクノロジーに対する好奇心だけでした。
「チーム構造は完全にフラットで、全員がプロンプト作成に関わっていました」とプリングル氏。「全員がクリエイターであり、物語を最良の形で伝えるために、全員が協力し合っていました」。
中心となった 5 人のメンバーは、合計 7,000 ものシーンを生成しました。マブロス氏は、その膨大な素材の中からベストなものを選び出して仮編集し、何が足りないかを見極めて、チームがその不足を埋めるのをサポートしました。
マブロス氏は AI を、クリエイティビティを全員の仕事に変える「平等主義的なツール」と捉えています。
「制作に携わったのは、制作の実務担当者やクリエイターだけではありませんでした。ニック(プリングル氏)は EMEA 地域の CCO ですが、彼自身も自ら PC に向かってシーンを生成していましたし、私も同様です。プロデューサーも(AI で)ロケハンを行い、風景に細かな修正を加えていました。これらのツールが実現しているのは、クリエイターかどうかを問わず、他者の解釈を介さずに、自分の頭の中にあるビジョンを自分自身で形にできることなのです」(マブロス氏)
それでも、各分野の専門家は不可欠でした。 チームにはアートディレクター、脚本家、カラリスト、VFX デザイナー、さらには作曲家も含まれており、すべてのフレームの質を高めていきました。
映像編集者としての 15 年のキャリアを持つマブロス氏は、AI を活用することで、編集者はクリエイティブをより自在にコントロールできるようになるだろうと指摘します。
「ストーリー展開に穴があると感じ、シーン間をつなぐ 1 カットが欲しいと願う瞬間がありますよね。AI なら、それをその場で作れるのです。これは非常に大きな力になります。私は常々、編集者とは現場に行きたくないだけの、実質的な監督だと思っていました。AI を手にした編集者は、より監督に近い役割を担えるようになったのです」(マブロス氏)
「偶然」の中にインスピレーションを見出す
このプロジェクトを統括した 2 人(マブロス氏とプリングル氏)によると、生成 AI を活用する中で最も驚かされたことは、シンプルにその質の高さそのものでした。
「実現できるものの質の高さには、ずっと圧倒され続けました。なにしろ、半年前から凄まじい加速を遂げていたのですから」(プリングル氏)
マブロス氏にとって、このプロジェクトで使った AI ツールのリアリズムと細部の精緻さは比類のないものでした。「Veo の物理特性は、この AI ツールとこれまで市販されてきた他のあらゆるツールの差を決定づけるものでした。そして、Veo の映像には本格的な映画さながらのクオリティがあります。非常に熟練した、まさにハリウッド映画のような仕上がりです」と同氏は述べました。
プロセス全体を通して驚きの連続であり、これは AI ならではの利点でした。Veo はしばしば、チームの誰も思いつかなかったような、しかし全員が使いたがるようなビジュアルを提供しましたが、プリングル氏はこれを「意図せぬ偶然(unprompted coincidences)」と呼んでいます。
映像のクライマックスに登場する雪の竜巻がまさにその 1 つでした。最終的なカットに採用されなかったシーンでさえ、採用案のコンセプトや構図の着想になりました。プリングル氏は、AI を活用するクリエイティブチームに対し、そうしたセレンディピティ(偶然の幸運)に対して常に心を開き続けるよう勧めています。
「自分の作品に、質と美しさというレイヤーを重ねてくれるテクノロジーを使っていると、そこには予期しない、想像すらしていなかった可能性が生まれるのです」(プリングル氏)
業界にとっての重要な瞬間
このブランドムービーが Google Marketing Live で初公開されるとすぐ、R/GA にはクライアントやクリエイターから、AI を活用して洗練された美的表現を実現する方法についての問い合わせが殺到しました。マーケティングカンファレンスの会場でも、LinkedIn のコメント欄でも、その好意的な反響は目を見張るものでした。
「大勢の人がやってきて、どうすれば自分たちにもこれができるのか、どうすればこのスタイルで制作できるのかと尋ねました。そのおかげで、実に興味深い議論が多数生まれました」(プリングル氏)
プリングル氏は、ソーシャルメディア上で懐疑的な反応が起こることを覚悟していましたが、結局そうはなりませんでした。マブロス氏は、否定的なコメントは 1 つも目にしなかったと話します。プリングル氏にとって、これは視聴者が作品の技術やストーリーテリングを高く評価してくれた証拠です。同時に、制作プロセスを包み隠さず公開したチームの「オープンな姿勢」が、共感を呼んだ結果でもありました。
プリングル氏は「私たちが成し遂げたことに対して、人々はオンライン上でたくさんの『いいね』を贈ってくれました」と話しました。
マブロス氏は、この作品の控えめなアプローチが、オンラインで際立つ要因になったのではないかと推測しています。「誰もが次のマイケル・ベイ(派手なアクション満載のエンタメ大作多数の監督)になろうと競い合っている中で、私たちはただ、全く別の角度から取り組んだだけです。必ずしも派手である必要はありません。この技術を使えば、次の D・A・ペネベイカー(ドキュメンタリーの旗手)を目指すことだってできるでしょう」。
今回の圧倒的に肯定的な反響が、より多くのクリエイターに AI の可能性を気づかせるきっかけとなり、自分のようなクリエイティブディレクターたちが、チームに対して積極的にその活用を促すようになることを、マブロス氏は願っています。
「私たちは社内の誰もがこれらのツールを習得するよう促しています。それは、クリエイティブリーダーにできる非常に重要なことです。AI の神秘性を取り除き、自分たちにも使いこなせるのだと気づかせることが大切です」
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